桶川市川田谷6663番
諏訪神社・橋本屋南西
通りに面しているが、ほとんど車も通らないので、静けさに包まれている。
境内には、馬頭観音と六地蔵と、簡素な堂宇がひっそりと建っている。
かつては、総門(外構えの正門)中門などもあって、かなりの規模だったようで、天正19(1583)年、御朱印三石を賜っている。
開山は、貞享5(1688)年、再建の棟札があったところから、室町期と考えられる。
本尊の観世音は、寛平3(891)年に亡くなった智証大師円珍の作といわれている。
貞享2(1685)年、火災に遭い、古書などを焼失してしまい、由緒などは不明。
古老の口碑によると、天長年間(824〜834年)に天災、疾病が続き、人々は飢えに苦しんだ時、開祖の慈覚大師がこれを憂いて小屋を設け、米粟を困っている人たちに施して救済した。
その小屋の後に、一寺を建立したのが、この寺だという。
明治2(1869)年、再度火災に遭い、明治4年に再建。
寺宝に髑髏があり、これは、源範頼の首級だといわれたが、これも明治2年に焼失してしまった。
石戸の薄桜は、この範頼を供養するために植えられたといわれているが、普門寺の枝垂桜にも範頼伝説がある。
根回り3.4m高さ13m趣きのある姿で、廃寺の境内にひそやかに立っている。
かつては観音堂もあり、安置されていた2尺4寸2分の十一面観音は、行基の作とも、慈覚大師の作ともいわれていた。
観音巡礼 山田計司著より

2009年4月26日参拝

【御詠歌】 不思議やな普門示現の法の花 実となる後の種ぞたのもし

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