さいたま市桜区白鍬68−1
神田小学校北西、細い路地に入ったところに慶福寺はある。
創立は文化年間で、植田谷本の金剛山林光寺の末寺です。
元は京都御室の仁和寺派の寺院であったが、後、武家政治になり豊宝の財政援助少なくなり、現在の真言宗智山派になったといわれています。
当寺は、創立当時から祈願寺として親しまれ、土地の住民の教育と布教を行なっていたようです。
特に代々の住職の中で、2番目に古い照海和尚は長い間、京都で修行し、故郷の越後に帰らず当寺にて地域住民に学問教育を施され、 地域発展の為につくされたようです。
代々の住職の墓石は、当時教えを受けた筆子衆が建立したもののようです。
本尊は阿弥陀如来と不動明王で開山佛が祀られております。
現在の還暦を過ぎた住民の方々は夏冬の休みには、皆、自主的に勉強し、霊験あらたかだといわれています。
北足立八十八ヶ所観音霊場9番札所
慶福寺より

2009年7月11日参拝

御詠歌不明

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