さいたま市北区吉野町1−36−2
35号線(産業道路)浦和から上尾方面に行き、大正製薬南に清浄院はある。
伝えるところによると、昔、当村に岸将徳という人がいた。
仏法に深く帰依して屋敷内に庵室をつくり、行基(奈良時代の高僧で、行基菩薩と称された)の作といわれる阿弥陀仏を安置し、僧を置いたのが始まりといわれる。
その後、天正2年(1574)に村民が相談して現在地に移した。
それまで、寺号はなくて、起立した岸将監が村の庄屋をしていたことから、「庄屋坊」と呼んでいたが、移転した時の住僧、寿伝が現在の寺号を定めた。
寛永4年(1627)には、住僧空円が高野山にゆかりがあったことから、法性寺の末に属した。
本尊の不動明王像は宝永2年(1705)に領主の戸田中務大輔が寄進したものである。
また、古く廃寺となった今羽村の三明院からは、両界曼茶羅が本院に移されている。
この、曼茶羅の裏書には、施主三明院とあり、代々の住職によって補修されてきたことの来歴が記されている。
清浄院のサルスベリは高さ9.5メートル、幹まわり1.43メートル(指定時)。
8月下旬頃から9月中旬まで次々に淡紫色の可憐な花をつけますが、この木は古木のためか、開花は少し遅れぎみです。
樹皮は赤褐色で、皮が滑らかで猿もすべって上ることができないので「猿滑」とも書きます。長い期間花をつけることから別名「百日紅」とも呼ばれています。
成長が遅い木のため、これだけ大きな木は近郊では見あたりません。
天然記念物として市指定されています。
北足立八十八ヶ所観音霊場17番札所
清浄院より

2009年7月14日参拝

御詠歌不明

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送