川口市安行吉岡1361
慈林小学校東側、首都高速川口線東側、県道328号線安行吉岡交差点を北側に入ると金剛寺はある。
当山は曹洞宗に属し、山号を富雙山と称し、入間郡越生町龍穏寺(関三刹)の末寺である。
室町時代の中頃、明応5年(1496)に、当時この地方を支配していた豪族中田安斎入道安行(やすゆき)により開創された。この人物の名が、 当地「あんぎょう」の地名の由来になったと伝えられている。
縁起によると、当時戦乱の世にて中田氏自身も多くの人々を殺傷し、その罪業に毎夜苦しんでいた。
たまたま当地を行脚していた禅僧に出会い、その教えに従って吉岡の地に草庵を結び、金剛般若経をよりどころとして供養し、その苦しみから救われたという。
この縁により仏門に帰依し、この地に伽藍を造営し、その禅僧(龍穏寺七世節庵良いん禅師)を開山とし、自らは開基となり、寺名は金剛経に求め金剛寺として開創した。
江戸時代に至ると、寛永19年(1642)三代将軍家光により御朱印十石を賜り、門派は十数寺に及んだ。
堂宇は戦後縮小改築されたが、山門は約400年前に構築されたもので、桃山様式を取り入れた四足門で、市内最古の棟門である。
また、墓地には県指定旧跡『安行植木開発の祖 吉田権之丞の墓』がある。
約200年前に当山十九世海牛禅師により始められた灸施療は有名で、現在も『お灸の金剛寺』として広く人々に親しまれている。
北足立八十八ヶ所観音霊場43番札所
金剛寺より

2009年7月26日参拝

御詠歌不明

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