蕨市塚越3丁目2番14号
塚越郵便局東側、東小学校北側、塚越神社境内に定正寺はある。
この神社は500坪ほどの広さで、正面奥に古墳のような5mほどの高さの山の上に神殿があり、そののぼりに塚越稲荷大明神とある。
この左手に四間四方のお堂があり、その軒下に小さく定正寺と書いてある。
定正寺は真言宗智山派のお寺、弘法大師の碑も建っている。しかし、無住で地区が管理しているお堂のようだ。境内は掃除が行き届いて気持ちいい。
本尊は正観世音菩薩。そもそもが足立坂東霊場の札元であり、宝永2年(1705) 高橋源太郎休山の開設。
悲しいかな、明治政府の神仏分離令で勢いをなくしてしまったのだろう。
塚越地蔵石仏由来の碑があり、
寛政元年(1789)5月頃江戸で「武州足立郡 塚越村 御代官 塚越常之丞様 御支配所 百姓弥右衛門 息女 地蔵娘 親孝行の次第板行」といって評判記を売るものがあった。
この娘は春中から何かまじないをするとて諸所より人々が集まり、茂右衛門も見に行ったことがあるが、折りあしく江戸本所辺りに御成があり、 役人衆がこれを聞きとめて志村鳥見方より代官への届出もなく、怪しい人寄りだとして取り締まることにした。
代官手代を道案内に塚越村にいたり、大勢が集まっている弥右衛門宅に村役人立会の下に踏込み、かの呪咀の数珠を引ったくり江戸役所へ持帰り、 支配代官所の門前で村役人立会で焼捨ててしまった。
人々は気の毒だと同情したが、これまでの布施物だけで金百両にのぼったという。
この地蔵娘と呼ばれた所以は弥右衛門と娘が塚越村地蔵尊に朝夕一心不乱に参拝してるうちに、この娘に神通力がうまれ多くの人々の病気、 怪我などを呪咀の数珠によって救ったと伝えられている。
又この地蔵尊に地元はもとより戸田、浦和、川口など各地区の人々が諸々の願いを込めて参拝し大変なご加護を頂き、 その御禮奉修として各地域の方々と相図り現在の地蔵石仏を慶応元年(1865)8月4日、約百名の人達によって安置された地蔵石仏である。
誠に由緒ある皆さんの幸福を導く地蔵尊であります。
足立坂東観音霊場33番札所
北足立八十八ヶ所観音霊場62番札所
足立百不動尊86番札所
定正寺より

2009年7月18日参拝

御詠歌不明

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