戸田市中町2−14−3
中町氷川神社南側、戸田東小学校南東、喜沢通り中町交差点南側に正覚院はある。
山門には新四国の83番霊場を示す石塔がある。左側に鐘楼、お墓がある。正面が本堂である。
新編武蔵風土記稿によると、蕨宿の新義真言宗三学院の末寺で、文明2年(1470)の創建で、開山は堯泉和尚と伝えられている。
室町時代の末期、応仁の乱の頃で、このころから日本は戦国時代に入っていくのである。
戦国の世は、真言宗にとって苦難の時代であった。
天下統一を目指す戦国大名にとって、信仰心によって団結し、僧兵という武力を持つ宗教集団は手強い存在だった。
真言宗は信長や秀吉の攻撃目標となり、高野山や根室寺が攻められて、多くの僧が命を落とした。
真言宗智山派は、秀吉に焼き討ちにされた根室寺の学僧達が、長年の放浪の後に徳川家康から、寺領を賜り、京都の智積院を総本山として発展してきた宗派である。
正覚院の本尊は不動明王である。
不動明王は大日如来の化身で、信者を守護し、悪道に落ちるのを左手の羂索(ロープ)でしばり引き上げ、悪心を右手の利剣で殺し、火焔で煩悩を焼き尽くし、 清浄の身心にして、正しく覚らせ、御身の頭上の蓮台に信者を乗せ、佛の世界に送り届ける願いを立てて、おられる仏様である。
北足立八十八ヶ所観音霊場83番札所
足立百不動尊40番札所
正覚院より

2009年7月25日参拝

御詠歌  さぬき一の みやのみまへに あふぎきて かみのこゝろを たれかしらゆふ

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