鳩ヶ谷市坂下2−15−5 |
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西友を過ぎ、右に市立図書館があり、その角に信号がある、もう一つ先の信号を信号を左折する。 せんげん通り商店会と言うらしいが、進むと右側に名前の由来の浅間神社がある。その広い敷地が千手院の専用駐車場になっている。 この神社の角を右折すると寺は先の右側にある。 開山は鳩ヶ谷市桜町法性寺第四世章山祖芳大和尚、永禄3年2月示寂、といわれるが、実際はそれ以前に開創されていたらしい。 新編武蔵風土記稿によると、本尊の千手観世音菩薩は、運慶の作と伝えられている。 当寺には鳩ヶ谷市指定有形文化財の「銅製鰐口(わにぐち)」が所蔵されていて、鰐口は弘治2年(1556)の銘があり。 社殿・仏堂正面の軒下につるす、円形で扁平中空の金属製の音響具で、下方が横に長く裂けている。参詣者が布で編んだ縄を振ってならす。 浅間神社は、江戸時代に千手院が管理していた。明治40年に、氷川神社との合祀に際し、浅間神社御神体と共に鰐口は、千手院に移された。 曹洞宗鳩井山千手院は、ふるくは鳩ヶ谷宿のほぼ中央(現本町3-2-20)にあって、観音堂として信仰を集めていた。 慶安3年(1650)に、曹洞宗玉龍法性寺末寺となり、そして、昭和45年(1970)に現在の場所に移転した。(鳩ヶ谷市教育委員会) 千手院が別当を勤める浅間神社。 鳩ヶ谷浅間(せんげん)神社は弘治2年(1556)に勧請された古社で、祭神は木花咲耶姫です。江戸時代末まで3020坪の広大な境内を持つ社でした。 明治政府の小社統合令によって、明治40年に鳩ヶ谷氷川神社へ合社になり一時は廃社となりました。 けれども、人々の信仰は厚く、昭和53年旧別当寺千手院により再興されて、同院に祀られていた伝来の御本尊が安置されました。 本尊 千手観世音菩薩 足立観音霊場の28番札所 (千手院より) 2009年5月18日参拝 【御詠歌】 はらみつの かいのはかりに はとがやの とびたつほどに おもへだいひを |
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