桶川市西1−10−24
桶川北学校東
旧中山道から、生垣に挟まれた参道を入ると、車の音が遠のいて急に静かになる。
時々、近くにある小学校から、子供たちの声だけが聞こえてくる。
山門をくぐると、道は右にカーブし、その突き当りが本堂、右手が鐘楼である。
鐘楼堂は昭和45年に新築された。
境内は隅々まできちんと清掃され、手入れの行き届いた木が木陰を作り、形の良い石が憩うかのようにその木陰に配されている。
弁財村昌福寺の末寺で、弘治3(1557)年清越和尚の開基になる。
江戸時代の大火、さらに大正11年の火災ですべてを焼失しまったが、開山の位牌だけは焼けずに残っている。
本尊の馬頭観世音は、4寸6分、約14センチの三面六臂の座像で、行基の作とも慈覚大師の作ともいわれている。
以前は、與楽寺にあったもので、2番札所も與楽寺であった。
中山道の往来が盛んだった頃、桶川宿の牛や馬が疾病にかかって数多く死んだ。
ある修験者がこの有様を目のあたりにして、一念発起、寺を興して死んだ牛馬の供養をしたところ、さしもの難病も収まったという。
明治の初め頃まではお堂があって、縁日も開かれていたそうだが、いつの頃か廃寺となり、本尊も大雲寺に移され、2番札所となった。
本堂の左手に立つ三体の地蔵のうち、右端を「女郎買い地蔵」という。
この地蔵は、中山道にあったお女郎屋に錫杖を突いて夜な夜な出かけたので、和尚さんが背中に鎹を打ちつけ縛ってしまったそうで、いまでも背中に鎹が残っている。
観音巡礼 山田計司著より

2009年5月4日参拝

【御詠歌】 むかしより誰が言い初めし桶川の 漏らさで救う観世音とは

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