埼玉県桶川市下日出谷556
東観団地南面
畑と墓地に挟まれた参道を行くと、迎えるように、見送るように、ところどころに地蔵尊が立っている。
昭和57年に作られた六地蔵を過ぎると、左右に榧のきがあり、その先、正面が本堂である。
両脇に立つ寛政9(1797)年の宝篋印塔の間を抜け、本堂を見上げると二枚の額があり、ご詠歌と大正7年の(西国、坂東、秩父百番観世音)と読み取れる。
本尊の弥勒菩薩は、鎌倉期の名匠運慶の作とも、慈覚大師の作とも伝えられている。
観音堂の脇に、県指定の文化財梵語学者盛典の墓がある。
足立坂東観音霊場の創設者である。」
寛文2(1662)年上種足村(現騎西町)に生まれ、加納村(現桶川市)の光照寺に入り光栄の弟子となり、奈良の長谷寺、京都の智積院で修行、元禄10(1697)年知足院住職となった。
真言教学の学僧として名高く、布教にも力を注いだが、延亭4(1747)年、84歳で亡くなった。
「新編武蔵風土記稿」には横見郡御所村息障院の末寺で、十一面観音は弘法大師の作、鐘楼は享保20(1735)年の銘、とある。
寺伝によると、京都御室仁和寺の末寺で、開基は不詳だが、天正年間(1573〜92)に武田信玄が再興、一時衰えたが盛典が中興したとある。
観音巡礼 山田計司著より

2009年4月26日参拝

【御詠歌】 日出るや月は入り江の谷ふかく 大悲のみ影灼なりけり

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