さいたま市日進町2−1003
日進駅南600m・JA日進北西
近くにある小学校から、風に乗って時々元気な子供たちの声が届くが、周囲は住宅に囲まれ、境内は閑雅そのものである。
山門を入ると、両脇に生垣のある参道が本堂へと導く。
右手に、庫裡、客殿が並び、その前に文政2(1819)年、と刻まれた地蔵尊や板碑、大隨求塔、昭和5年の本堂修繕向拝新築碑、昭和17年の修繕記念碑などが一列に並んでいる。
正面の本堂には、昭和43年に作られた金文字のややはげかかった額がかかっており、全体に古趣に溢れている。その前に水子地蔵。
鐘楼は本堂の左手にあり、延宝3(1675)年、の鐘だという。
山城国醍醐無量寿院の末寺で、正和元(1312)年、に亡くなった僧興雲が、弘安5(1282)年、に開基した。
「新編武蔵風土記稿」によると、永仁6(1298)年、の草創とある。
家康より寺領十石を賜ったが、寛永18(1641)年、に火災のため焼失、御朱印も焼失したため半減され五石となった。
しかし、貞享年間(1684〜88年)に宥悦上人が御朱印を再願、宝永5(1708)年、信栄上人が中興した。
さらに、安政3(1856)年、の大暴風で本堂、客殿が崩壊したが、山学上人が興した。
最近では、昭和57年に客殿新築、翌58年庫裡を改修し現在に至っている。
境内には、市指定の天然記念物が2本ある。
一本は山門近くにある比翼桧葉、もう一本は本堂の裏にある白樫である。
白樫は高さ20mの巨樹で、一年中、豊かな緑を茂らせている。
春には、黄色の雄花と薄茶色の雌花を咲かせ、秋には黄褐色のドングリを落とす。
白樫の根元には、歴代住職のたまご型の墓石が十数基並んでいる。
石には、文化とか、文政とか刻まれており、この白樫と共に、世の中の移り変わりを眺めながら、風説に耐えている。
足立坂東観音霊場の最後の札所となった、ここ満福寺は、33番札所であると同時に、明治維新の神仏分離の時、氷川神社第1番札所を移して、新しく足立坂東第1番札所ともいう。
物事の終わりは、また新しい始まりであることを物語っているかのようである。
観音巡礼 山田計司著より

2009年5月9日参拝

【御詠歌】 千早ふる大悲の縁に逢うみやの 寺に参るも後の世のため       

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