伊奈町小室9352
伊奈病院東北・宇部三菱セメント倉庫西
道の両側の並木の中を、舗装された、やや長い参道が通っている。
遠く離れたところに住宅はあるが、境内は静けさに占められている。 かすかな風に、絵馬のカラコロと鳴る音が響く。
参道の正面が、朱塗りの観音堂である。通称小室観音として親しまれている。
背後に銀杏の大木が2本、左手に欅の大木、その間にジャングルジム、スベリ台、ブランコなどがある。
境内には、その他、明治4(1871)年の観音堂屋根改修記念碑、昭和46年の小室観音堂記念碑、延命地蔵尊などがある。
創立は不明だが、元禄15(1702)年札所の5番となったという。
本尊は、高さ1mの木造で、体内には、三体の木造仏と、2枚の木札が納められているという。
この観音は、正兵衛という漁夫が、南国土佐の沖合いで、青白い光を放つ3mほどの霊木を拾った。
木の皮を火中に投げると、天上界の妙香をかぐようで、わが国では見たことのない銘木。
これを聞いた聖徳太子は、「それは昔、天竺の普陀落山、つまり、観音様のお浄土に植えておいた赤栴檀の木である。浅からぬ宿縁によって、私を慕って流れてきたものであろう。
その霊木を都まで持ってきてもらいたい」と、いわれた。
霊木は都に運ばれ、当時有名な仏像彫刻師鳥仏師が二体の観音像を作った。
太子は、一体を天皇のご内仏に献呈し、一体を自身の念持仏とした。
この念持仏こそが、後日、太子が武蔵野を横切った際に愛馬が霊験を現わした土地、伊奈町小室の里に移されたものだという。
しかし、大正15年に鑑定した結果では、足利時代前記(14世紀末〜15世紀前半)の作といわれている。
この境内の奥には、小貝戸貝塚がある。 約7000年前、人が住んでいた跡であり、土器、石斧などの出土品も多く、大正13(1924)年に県史跡に指定された。
寺伝によると、岩槻市慈恩寺の末寺で、開山は応仁以後(1467)〜慶長以前(1596)年、と推定される。
はじめ堂宇は三間四方だったが、安永7(1778)年、六間四方の茅葺屋根を建立、明治維新までは境内も広く、本堂、大玄関、不動堂、阿弥陀堂などがあったという。
明治44(1911)年に瓦葺きとなり、記念碑にあるように昭和46年現在の姿となった。
また裏山の雑木林の中の弁天堂は、宝暦14(1764)年に善戒和尚が開山、一間四方のお堂であった。
ひょうたん池があり、旱魃の時は、この幽泉で雨乞いをしたという。
観音巡礼 山田計司著より

2009年5月4日参拝

【御詠歌】 こがい戸を開いて聞けば妙音の きよみつ寺に響きこそすれ

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