上尾市藤波2丁目196
つくし学園北東・原田産業西
山門の近くにまで、住宅が迫っているが、前は広々とした畑、裏にはこんもりとした山を控え、境内は閑寂そのものである。
山門の正面に間口7間の観音堂、右手に鐘楼、左手には、地蔵や板碑が20基以上、きれいに一列に並んでいる。
その奥が墓地である。
近所に住む鴨田卯之助氏が管理している。
もとは真言宗だったが、百余年前岩槻城主太田信濃守が中興して臨済宗となった。
鎌倉五山園覺寺の末寺で、本尊の如意輪観音は、1尺4寸5分6臂の座像である。
暦応5(1343)年、光明天皇の代に、寺の南、如意輪山の上に、3日3夜、5色の雲が舞い、篠田図書という人物が駆けつけてみると、この雲の中から観世音の御頭が舞い降りたという。
不思議に思った図書は、これを家に抱いて帰り、安阿弥に坐光を刻ませたという。
後に、この天降ったところに梵堂を建立して安置した。
しかし、朝夕、花を供えたり、灯明を点ずるのに不便なので、現在地に移したという。
観音巡礼 山田計司著より

2009年4月26日参拝

【御詠歌】 有り難や藤の葛に波の音 大悲の誓いたのもしきかな

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