さいたま市清河寺792
老人ホーム富士見園東北・共栄管工北
山門を入り、頭上に繁る松をくぐると、正面に本堂、左手に観音堂、右手に鐘楼、その背後には竹やぶが繁り、幽幻な雰囲気が漂っている。
相模国鎌倉圓覚寺の末寺で、古くは現在地より西南の方向にあり、七堂伽藍を建て、周辺の寺々はすべて末寺だったという。
いつ頃、現在地に移ったのかは不詳だが、開創は正平15(1360)年、開山は永和4(1378)年に亡くなった圓覚寺第38世仏慧禅師傑翁是英で、開基は、貞治6(1367)年に亡くなった、足利基氏(尊氏の四男)と伝わる。
基氏が病のとき、元弘3(1333)年、謀反の折亡くなった、兄の竹若丸が大龍に乗って枕元に現われ、清き流れの水を酌み、基氏の面にそそいだ。
その水が甘露の薬水となり、病が癒えたので、竹若丸のために七堂伽藍を建てたという。
昭和57年に建てられた、この竹若丸供養のための五輪塔が、境内の山門脇にある。
本尊の千手観音は、聖徳太子の作といわれる。
享禄年間(1528〜32年)に兵乱のため堂宇を焼失し、霊像は20町ほど南の弁財天の松林へ、とび去り、しばらくは廃寺であったが、天正19(1591)年、家康から御朱印五石を賜り再建した。
元和年間(1615〜24年)に、盗賊のため再度堂宇を焼失したが、観音と御朱印は難を免れ、いつの頃か、仙岩という僧が中興した。
さらに、昭和18年には、梵鐘が軍に徴用されたが、これも、昭和52年に再鋳、現在、寺宝としては、県指定有形文化財の、足利持氏公判物七点の古文書がある。
観音巡礼 山田計司著より

2009年5月4日参拝

【御詠歌】 浄潔き清かわ寺の流れこそ 汲みて涼しき功徳なりけり

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