さいたま市桜区栄和6−11−16
金剛寺を出て、前の道を左に行くと、つきあたりに信号がみえる。これを左に折れてすぐ右に入り、300mほど先に墓地がある。 さほど広い墓ではないが、これが蓮乗寺跡である。金剛寺からわずか6分ほどである。
ブロック塀にかこまれたこのお墓の中に、赤い屋根の10坪ほどの平屋建がある。正面の入口に栄和第一自冶会館と、蓮乗寺観音堂の看板が左右にかけられている。 地元の人達は、ここの墓を観音堂とよんでいるがこの堂には不動尊の扁額はみえない。
しかし入口の左脇に高さ1m余の大きな石碑があり、それには正面に、大聖不動尊第五十三番と彫られており、 その左側面にはご詠歌と安政六年の文字をよみとることができる。これは行弘寺の石碑建立と同じ年である。 ところで西蓮寺蓮乗寺とは珍しい名と思うが、現在西蓮寺という地名は地図の上にはないので、実在したかどうか、この地区の自冶会長でもあり、 蓮乗寺の管理者でもある大室吉見氏に聞いてみたところ、大室家代々の墓石の中に西蓮寺村の名がみられ、存在を確認した。
きっと西蓮寺という寺も、その昔は実在したのに違わない。あとで調べたところによると、西蓮寺村と千駄村を明治10年に合併し栄和村としたとのことである。
大室氏のご案内で建物内の不動尊を拝見したが、扁額は中には見あたらなかった。大室氏によると、 この蓮乗寺の前の管理者は大室太郎氏といい、市議会議長までつとめた人であるという。 (高島英一著より)

2009年8月23日参拝

御詠歌   もろもろの にこりをあらふのりのみつ きよき蓮の こゝろもて人

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