川口市芝5222
神宮寺を出て産業道路を南の方へ。さきほど渡ってきた歩道橋のさきに、もう一つ芝支所歩道橋がある。これを渡ると右一帯の森が長徳寺境内である。
少し行くと、ナナメに右に入る道がある。長徳寺の境内にそっていく形になるが、入っていくと長徳寺の本堂の横手から入ることができる。 この長徳寺の広い境内は、どのくらいの面積があるのか、想像もつかない広さである。
参拝をして山門を出て、その先をみると、まっすぐのびた道の先に森がみえる。これが83番慈星院である。
本堂の左手は幼稚園になっていて、右手に朱塗りの不動堂がある。ご住職に伺うと、81番真光寺の不動尊も預かっているとのことで、二体の不動尊があることになる。 天女の舞の額が上にかかっていて、そのわきには不動尊と扁額はあるが、百不動のそれではない。
ご開帳の折に拝見したのだが、この不動堂の中の不動尊は、正面に座像、右に立像(81番真光寺)があり、それぞれ二童子をしたがえた大作で、 両方とも1.5mほどの大きさである。この二体の不動尊はその作風からみて、同じ作者によって作られたものであると思われる。
二体とも、 釼を別あつらえで前面に立てているのが特徴で、このような作風は、これまで見てきた不動尊の中で例をみない。それにもましてこの二体の不動尊の持つ迫力は、 拝む人をして身と心をひきしめさせるのに十分である。製作年代はわからないらしいが、足立坂東百不動尊中、最も美術的価値の高いもののように思う。
このような立派な不動尊が廃寺になった81番芝真光寺にあったことを考えると、この二体の不動尊を作らせたのは誰だったのか、作者は誰なのか知りたいところである。 この堂内にはこの二体の不動尊の他に、左側に2m以上あるのではと思わせる。四天王の一人の像があり、それも美術品としての価値の高いものと拝見した。
この堂内に写真入の額がかかっていた。雅児行列を行った時の、記念写真のようで、盛装した子供達が大勢いる。その中には、これも盛装した住職と世話人達が、 大勢この堂の前でとったものである。 それには大正10年(酉年になる)の開帳とあり、よくみると本堂の一部が写真に入っており、カヤ葺であったことがわかる。いずれにしても、 この当時の風俗を物語る貴重な写真である。
この不動堂のすぐわきに、市の天然記念物になっているカヤの大木がある。樹高18mにも及び、常緑の木で種子は薬用にしたり、食用油もとれるとの説明がある。
先ほどの長徳寺から見える森の中の、最も目立つのがこのカヤの木である。(高島英一著より)

2009年9月16日参拝

御詠歌   慈しむ 星のひかりともろともに ふかき 芝生をてらす明王

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