さいたま市南区大谷口2015
信成院(野口家)
観音院の入口を、院にむかって右に折れて、角をまわり、裏手の方に行く。坂をおりて、その先の十字路をすすむ。
少し行くと右に水路があるが、これが見沼代用水西べりである。この水路にそって、モダンな色のレンガを敷いた歩道を行くと車道に出る。
これを右へ、橋を渡ると、その先に森がみえる。この森は氷川神社で、この先を30mほど行った左側の野口家が、98番安楽寺のあったところである。
この野口家の屋敷は、170年くらいたっていると聞いたが、現在は新しい建物がその前面に建てられている。
この建物の庭先の下の方に、道をへだてて墓地が二ヶ所あるが、この野口家の敷地内にあった安楽寺は、明治の初期に焼失したらしい。
現在は、この野口家の少し先の野口良太郎氏の敷地内にお堂が建てられ、信成院と名をかえて98番札所となっている。
その野口家の屋敷へは、ここから武蔵野線の上をわたり、すぐ右の小道を200mほど行くと右にある。
この野口家の屋敷内の不動堂は、昭和50年に建てられたもので、野口家の記録によると、その前は明治36年の再建というから、この場所も古いことになる。
扁額はその以前に焼失したものと思われ、ここにはないが、この不動尊像を信心する人々は多く、ご開帳の折には一心講(不動講)の人達が集まり、 盛大に行事が行われ、この地区の人達の、お不動さまへの信仰の深さをみることができる。
このお堂の右手に3mほどの高さの石碑がある。一心講の記念碑なのだが、これは明治27年に建立されたもので、脇に小さく修験導師、星野順栄書と入っている。
昔の行弘寺住職である。これからしても、安楽寺の火災は、明治初年の廃寺の直後であることが考えられる。(高島英一著より)

2009年9月20日参拝

御詠歌   ふとうそん ふかきめくみに大谷口 安く楽しめ ひとのこゝろに

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