さいたま市南区広ヶ谷戸320
集会所
野口家内の信成院を出て、ここまで来た道を先に進む。100mほど行くと左に急な坂をおりる小道がある。
これを200mほど行くと右手に、墓地と集会所のような平家建てがある。これが99番、善応院である。善応院とはどこにも書いてないが、 この建物内に不動尊がしまわれている。
この建物の右に赤い鳥居があり、奥に一間半間口の小堂があるが、これは稲荷社で、建物の右手には六地蔵があり、裏手には新旧の墓がわずかにある。
ここを管理している大熊貴一氏の話では、不動尊は立像で、70センチほどの高さで、阿弥陀仏と、それに御輿があり、 その御輿の重さは100キロほどで、文政の頃のものだというが、昭和61年に修理の際わかったのだという。
さらに、この時に嘉永6年に一度修理されていたこともわかったのだそうで、大谷場にもこれと同じものがあるとのことだが、確認していないという。
現在の集会所は、昭和47年に建てられ、それまでは裏の墓のあるところに、草ぶきのお堂があった。99番の扁額も建物内にあるとのことである。
善応院の墓地は少し離れたところにあるらしい。
裏手の竹やぶになっているところには、昔、稲荷社があって、今はなくなっているが、現在右手にある稲荷社は、大熊氏のところにあったものを移したのだという。(高島英一著より)

2009年9月20日参拝

御詠歌   なにことも 善にまかせん広かやと まもるちかひに 応らさらめや

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