さいたま市西区植田谷本504
植田谷本自冶会館北東、植水小学校南東に林光寺はある。
元は林台寺と称し貞観5年(883)益信(本覚大師)が東国巡行の際に一寺を建立したのが当寺の始まりと、寺伝に伝えている。
鎌倉時代には、真言宗御室派が関東地方にまで及んできており、当寺も同流京都仁和寺の末であったことから、 仁和寺に関わりを持つ益信を後の世に開山として勧請したという寺伝を生んだものと考えられる。
境内から出土した平安時代の古瓦などから、寺伝に伝えるころに建立されたことは間違いないらしい。
市内の真言宗寺院としてはもっとも古いものに属する。
新編武蔵風土記稿によると、当寺城内にあった薬師堂は、代々名主をつとめた勘太夫の先祖が開祖で、同人持ちと記されている。
勘太夫系という土豪小島氏の菩提寺で密接な関係があった。
この、小島氏は、当地に本拠地のあった郡司足立氏の後裔とされている。
この薬師堂は、足立氏の持仏堂だったと考えられる。
天正19年(1591)に、寺領10石の御朱印を受け、その祈りに弥陀の樹光光明遍く十万を照らす寺として、林光寺と改名した。
新編武蔵風土記稿によると、阿弥陀像は恵心僧都の作となっている。
江戸時代中期の1776年に藤原政時によって作られたという大鐘。
撞木が鐘に当たる部分"撞座"が、通常2か所のところ4か所あるのが最大の特徴。市の文化財に指定されている。
本尊 阿弥陀如来
北足立八十八ヶ所観音霊場7番札所
足立百不動尊59番札所
林光寺より

2009年7月11日参拝

御詠歌不明

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