さいたま市桜区道場3−15−3
新編武蔵風土記稿によると、当地には、代々受け伝えるところによると、大伽監があり、保元の乱で兵火のためにことごとく焼失したとある。
保元の乱とは、保元元年(1156)後白河天皇と崇徳上皇との勢力争いに、源平の武将がついて戦い、天皇方が勝った。
この戦いが、政権が貴族から武家に移るきっかけになっている。
新編武蔵風土記稿には、この後、建久年間(1190〜99年)に、源頼朝の家臣の畠山次郎重忠がこの地の領主になった時、当寺を建立し、開基となった。
その後、慶長年間(1596〜1615)に大和国(奈良県)の真言律宗西大寺から、賢明律師を勧請して中興開山したとある。
以後、現在に至るまで、法灯連綿として続いている。
寛文9(1670)年の舟型庚申塔があり、江戸初期のものとして市の民俗文化財に指定されている
本尊 正観世音菩薩
北足立八十八ヶ所観音霊場6番札所
足立百不動尊52番札所
金剛寺より

2009年7月4日参拝

御詠歌不明

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