さいたま市中央区上峰4−7−28
彩の国さいたま芸術劇場西側、首都高速埼玉大宮泉東側に円福寺はある。
新編武蔵風土記稿によると、北明山龍光院と号す、本尊弥陀を安ず、開山円海大永元年寂すと、ある。
足利時代末期、北条早雲が立ち上がって、三浦氏を滅した戦国時代の始め(1521)には、すでに開山していたことになる。
同記によれば、江戸時代初期から朱印五石を受けており、格式の高い寺だった。
本尊の阿弥陀像にも伝説がある。戦国時代から700年もさかのぼる承和9年(842)に、品川の海から出現したということが、像の蓮台の裏に彫られている。
本尊は脇侍が並び、阿難と迦葉の像で護られている。
これらの像は鎌倉前期の名匠である運慶の作である。
この像の蓮台から、正徳4年(1714)に、当寺9世の僧盛恵が記した文書がある。
近代初頭のころ、徳川家康の近臣本多佐渡守正信が陣屋を構築するために現在地に移築したものと伝えられている。
本造毘沙門天立像など7体の仏像がある。釈迦堂には美しい木造釈迦如来坐像(市指定文化財)が安置されている。
戦国時代から徳川時代にかけて、戦火に見舞われながら、法灯を守り続けてきた寺である。
北足立八十八ヶ所観音霊場15番札所
足立百不動尊61番札所
円福寺より

2009年7月4日参拝

御詠歌不明

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