戸田市上戸田2−9−7 |
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中仙道西側、中央通り上戸田福祉センター北側に光明寺はある。 門のところに弘法大師霊場・北四国八十八ヶ所第二十二番札所の石塔がある。正面が本堂で、右側にお墓があり、左側が住まいである。 新編武蔵風土記稿によると、新義真言宗の蕨宿三学院の末寺として建立、その年代は不詳である。 現在は京都の真言宗智山派総本山智積院の末寺である。 木像の本尊、阿弥陀如来座像と同じく木像の弘法大師座像は江戸時代の作である。 新義真言宗の開祖で真言宗中興の祖である興教大師の木像の座像も江戸時代の作である。 興教大師覚鑁は高野山に大伝法院を創建、さらに蜜厳院に住んで蜜観を修した。 しかし、高野山の衆徒との間で軋轢があって700人の僧と共に正応元年(1288)高野山を降りて和歌山の根来山に移った。新義真言宗の始まりである。 興教大師はここでさらに一乗院円明寺を建立した。 当寺はその寺名から明の字を受け継いでいる。 衰退の時期はあったが、現住職が中興第一世となって今日に至っている。 現在の本堂は昭和47年(1972)の建立である。 北足立八十八ヶ所観音霊場22番札所 光明寺より 2009年7月18日参拝 御詠歌 びようとふに へだてのなきと きくときは あらたのもしき ほとけとぞみる |
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