さいたま市北区日進町1丁目758
日進駅から南西方向700mにある。
創建は不詳であるが、明らかになっている最初は、新義真言宗の寺院であった。
藤原氏の時代は、東国で一大勢力を持って叛乱した武将、平将門の伝説のある下野国(栃木県)足利郡鶏足寺の末寺であった。
元禄2年(1689)に中興開山空正の時、京都無量寿院の末寺となり、花臺山大聖寺と号し、本尊に不動明王を祀った。
徳川綱吉の時代で、ちょうど松尾芭蕉が、「奥の細道」の旅に出た頃である。
この百年前の天正19年(1591)、江戸城に入った、家康から武州入間郡の四石を寺領に賜った。
さらに、2代将軍秀忠に加増され、十石四斗となっている。
徳川家の歴代将軍から手厚い保護を受けていたが、維新の後、明治20年(1887)に失火があり、堂宇を全焼した。
しかし、檀家総代の人たちの熱意と住職の努力で再興し、現在に至っている。
当時の木像宝冠釈迦如来座像は指定文化財で、南北朝時代末期(1300年代末)の作である。
また、境内と周辺には、樹齢三百年を越える四本の大木が並んでいる。
暖帯性の常緑高木であるタブノキ(イヌグス)をはじめ、イチョウ・カヤノキ・シイノキなどで、イチョウを除く三本は旧大宮市指定天然記念物となっている。
北足立八十八ヶ所観音霊場27番札所
金剛院より

2009年7月11日参拝

御詠歌不明

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