さいたま市南区別所2丁目5番14号
浦和別所小学校に隣接して真福寺はある。
江戸時代から新義真言宗、浦和宿玉蔵院の末寺として、旧別所村に存続していた。
詳しい沿革の記録は現存しないが、さいたま市によって天然記念物に指定された境内のイチョウの木は樹齢数百年といわれ、当時の歴史の証人といっていいだろう。
さらに墓地内にある青山家所有の阿弥陀三尊種子板石塔婆(鎌倉時代末期の作・市指定)、また当山、中興の宥尊和尚の墓石は寛文6年(1666)の銘があり、 徳川4代将軍家綱の時代のものと分かる。
明治維新後も玉蔵院の末寺として寺運を維持して来た。
昭和初めから戦中戦後の役30年間は住職が不在だったため堂宇は荒廃したが、現住職が入寺して、堂宇、境内さらに周囲の環境も着々と整備されてきた。
北足立八十八ヶ所観音霊場36番札所
足立百不動尊69番札所
真福寺より

2009年7月9日参拝

御詠歌不明

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