鳩ヶ谷市桜町5−5−39
旧日光街道の五差路交差点、ミヤノ薬局右折すると地蔵院慈眼寺がある。
境内に入り、地蔵院の名前がやけに目につくが、足立坂東二十九札所、慈眼寺の名が書かれていたのでほっとした。
慈眼寺は真言宗智山派の寺院で、本尊は十一面観世音菩薩。現在は同じ宗派の地蔵院に合寺され、その観音堂として扱われている。
開山は了雅で寂年は不詳である。中興開山は尊蓮で慶安元年(1648年)正月16日入寂。
草創は鎌倉時代、あるいはそれ以前の寺である。新編武蔵風土記縞には、入間郡喜多院にかかる古鍾の銘に、武蔵国足立郡鳩井郷筥崎山依悲母命奉鋳之、 正安2年(1300年)庚子3月18日大工沙弥慶源景恒と彫せり云々、とある。
境内に観音堂があり、十一面観世音が安置されている。この観音は弘法大師の作と伝たえられている。
堂は江戸時代には浦寺の北方、日光街道の西側にあったが、明治4年の法性寺火災で飛び火し、堂宇を焼失したので地蔵院境内に移されることとなった。
また、境内には、小谷三志遺品保存館があり、裏庭には樹齢100年の大楠がある。
これは市の天然記念物に指定されている。墓地は本堂の北側にあり1600年代の五輪塔、宝筐印宇塔などがならび建っている。
当寺を菩提寺とした小谷三志は、一名鳩ヶ谷三志ともよばれた不二道を開いた人で、二宮尊徳も一時は三志に教えを乞うたこともあり、 後に孔子と三志を並べて話したほどで、三志の偉大さを物語っている。
この墓は三志遺品保存館のすぐ裏に丸石二個を重ねただけの質素なもので建てられている。
左の地蔵さんは良縁地蔵と呼ばれています。
昔話で、村のお大尽の母親が息子の嫁取りでお地蔵さんに相談した。
満願の日、母親が息子と別れさせたい娘いるが、よく働き、素直で優しい笑顔の姿が次々浮かんできた。お地蔵さんのおかげで、よい娘だと気が付きました 
当寺は箱崎山錫杖寺地蔵院と称す、聖武天皇の時代より1100年の歴史本尊地蔵菩薩は行基伝(平安期)慈覚大師の守本尊・秘仏地蔵尊也、 地蔵院縁起による。
観音堂本尊 十一面観世音菩薩
子育地蔵菩薩は埼玉六地蔵の2番
安産観音は足立坂東観音霊場29番
平和不動は足立百不動尊の29番
修行大師は新四国八十八ヶ所観音霊場の59番
地蔵院慈眼寺より

2009年6月20日参拝

御詠歌不明

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