蕨市中央2−30−10 |
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三学院は、京都の新義真言宗智山派総本山智積院(ちしゃくいん)の末寺で、金亀山(こんきさん)極楽寺三学院という。 創立年代は不明ですが、本尊の木造十一面観音菩薩立像が平安時代後期の作であることや、他に現存する資料から中世以前の創建と考えられている。 天正19年(1591)には、徳川家康より、寺領20石を寄進する旨の朱印状が授与されており、以後徳川歴代将軍からも同様の朱印状が与えられている。 また、三学院は、足立坂東三十三箇寺の20番、北足立八十八箇所の30番にあたる札所としても知られている。 また、江戸時代には「関東七ヶ寺」の一つとして僧侶の教育機関であった。 初めは中山道の三学院入口角にあったが、明治元年、明治天皇の氷川神社行幸の折りに、参道の中ほどへ移され、さらに昭和二十三年、現在の仁王門前に安置された。 子育て、火伏せ、開運に霊験あらたかとして信仰を集めている。毎月四の付く日が縁日で、八月二十四日には大護摩が執り行われ大勢の参拝者で賑わう。 真言宗智山派。金亀山極楽寺という。本尊は十一面観音で平安時代中期の慈覚大師の作と伝えられている。 天正19年(1591)徳川家康から寺領20石の朱印状が与えられた。 蕨の地名の由来には、藁を焚く火が遠くから見えたことから「藁火村」と名付けたのが「蕨村」になったとする説や この近辺に芝・笹目・青木・美女木など植物に関する地名が多いことからやはり植物名の蕨から名付けたという説もある。 どちらも疑問が多く定かではないが、三学院の朱印状に蕨の文字が使われています。 足立坂東観音霊場20番札所 北足立八十八ヶ所観音霊場30番札所 足立百不動尊80番札所 (三学院より) 2009年5月23日参拝 【御詠歌】 はなをみよ ついにこのみは ごくらくじ とそつのみねの あめのめぐみに |
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