蕨市中央2−30−10 |
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宝樹院南西に三蔵院はある。 三藏院は三学院末寺、 龍亀山無量壽寺と号し、古い記録を戦災で焼失したようで記録は残っていない。 新編武蔵風土記稿によれば 「本尊彌陀 開山を恵陽と云示寂の年月詳ならず 古村民川嶋三郎右衛門と云もの堂宇再建せしかば中興の開基とす 天正3年(1573)3月6日卒せりて 法諡無量寺俊儀居士と云 則此法諡をととりて 寺号とせしなるべし 云々とある」 下蕨の部落には 徳治3年(1308)や明応2年(1493)の古い青石塔婆があることから それ以前既に聚落をなしていたことがうかがわれ 三藏院の起源も その頃に遡って考えることもできる。 文政年間に建てられた堂宇は 昭和20年4月13日午後11時頃敵機の焼夷弾により焼失。この時本堂にあった観音堂の本尊も鳥有に帰した。 その後昭和26年に仮本堂が建てられたが 篤信の檀信徒によって昭和57年5月耐火構造を新しい伽藍の落慶を見た。 桜の名所としても知られていて、隣にある野鳥公園では此処に来るらしい鳥の絵がかかれた銅板がある。早朝くれば、きれいな野鳥の鳴き声が聞こえそうである。 本尊 正観世音菩薩 足立観音霊場の21番札所 北足立八十八ヶ所観音霊場32番札所 三蔵院より 2009年5月23日参拝 【御詠歌】 あのくたら ぼだいのたまを みつのくら つきずくちせぬ たからなりけり |
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