戸田市中町2−4−11
喜沢中学校の北側に常福寺はある。
山門は普段閉まっているようで、通用門から入った。
本尊の阿弥陀如来が燦然と輝いている。
その右は、当て推量だが、浄土宗開祖の法然上人像ではないだろうか。観音堂は開扉期間も終わり閉じている。
境内は静かなたたずまいで、古い石像など点在しているが、ゆっくり散策できる。
浄土宗の寺院で龍光山不退院と号します。
「新編武蔵風土記稿」によると、開山は晃蓮社天譽万栄といい、永正15年(1518)に寂したと記されています。本尊は、阿弥陀如来です。
当寺には、文政5年(1822)から7年かけて深川の本誓寺沙門了門、礫川巌浄院住持了道によって描かれた「当麻曼荼羅」があります。
縦横2メートルの大きなもので、美術品としても立派なもです。
また、完成2年(1790)に造立された「寛政の宝篋印塔(ほうきょういんとう)」は旧戸田村の金子家から幕府をはじめ、 江戸や京都など各地の79の寺院に一万両余りもの多額の寄進を行い、先祖の供養などをしたことが記されています。
そのほか、文化13年(1816)に徳本上人が独特の書体で『南無阿弥陀仏』と記した「名号塔」が境内の鐘楼のわきにあります。
いずれも、市の指定文化財となっています。
平成7年3月 戸田市教育委員会 (境内案内板より)
下戸田村金子善四郎・善兵衛が寛政2年(1790)に建立した塔があり、当時は飢饉や政変で世情は混乱疲弊していた。
善四郎は稼いだ資財をこの塔面にあるように各地の寺院へ奉納した。大口としては京都御所炎上に金千両と地元常福寺に金千百両、総計一万両余とある。
これは空前の巨額寄進であったので『新編武蔵風土記稿』『近世風俗見聞集』などに快挙が記録されている。
この宝篋印塔は金子家代々の精霊供養と併せて右の善行の詳細を録して造塔されたもので、本寺にこの塔があるのは歴史的に見ても有意義な存在である。 (境内の縁起より)
戸田市指定の文化財が3点ある。
文政5年(1822)から7年に描かれた「当麻曼荼羅」
徳本上人が記した「名号塔」
寛政の宝篋印塔(ほうきょういんとう)
本尊 阿弥陀如来
足立観音霊場の22番札所
常福寺より

2009年5月23日参拝

【御詠歌】 しもとだに しらでつもりし をいのゆき きえなんのちを たのみおくかな

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