上尾市平方2088
桶川新道バス停北西・上尾橋高校南東
静かな境内は、塵一つ落ちていない清潔さである。
両脇に地蔵を配した門を入ると、右手に大小様々な形の馬頭観音、左手には、鐘楼、その奥は墓地になっており、六地蔵などもある。
黒塗りの山門をくぐると、正面が間口10間の本堂、左に手入れの行き届いた黄楊が数本、行儀良く一列に並び、右には、県の天然記念物の木斛が、支柱に凭れた枝を四方に伸ばしている。
木斛は、ツバキ科の常緑喬木で、庭木の王様といわれている。
夏には、白い五弁の花を開き、直径1センチほどの実を結び、熟すと紅い種子を出す。
樹は、床柱や櫛などの細工物に用いられ、木の皮は褐色染料の原料となる。境内の樹は、樹齢650年位といわれている。寺伝によると、三代家光から15石の朱印状を受けている。
鎌倉時代の土御門天皇の時(1198〜1210年)、三輪庄に吾妻左衛門是好という長者がいて、諸国行脚をする知道という法師を泊めた。
厚くもてなし、絹の夜具にやすませたが、この法師がふと欲心をおこし、夜具を盗み、馬屋の戸口から出ようとした。すると、馬が喰いとめ、人の言葉で説教したという。
「私は前世は人間であり、この家の主人左衛門の伯父三輪庄司好光といい、かつては軒を並べて栄えていた長者であった。
ところが、心がけが悪かったため家は没落し、乞食同然、左衛門の情によって食べさせては貰ったが、死してのち畜生道に落ちて馬となった。
その恩に報いようと、この家に飼われ、毎日重荷の苦を受けている。
しかし、ようやく、あと一度の重荷でその恩の報いが終わり、明日は極楽往生が出来る。
あなたも盗みをすれば、やがて馬となってこの家に飼われ、その恩に報いなければならない。
そうならないように盗心を捨てなさい」驚いた法師は座敷に戻り、夜の明けるのをまんじりともしないで待った。
馬は、早朝重荷を背負って川越へ行ったが、昨夜いった通り、批把橋で蹄を折って倒れた。
その知らせに法師は、主人の左衛門に一部始終を話した。
それを聞いた左衛門も大いに驚き、知らぬこととはいいながら伯父を畜生として扱ったことを悔い、馬を厚く葬り、知道を座主とし、草庵を建てた。馬蹄庵と号し、馬頭観音を本尊とした。
その後、天文年間(1532〜54年)に、感誉上人が来臨して再興し、山号院号をつけて浄土宗の道場にしたという。
また、次のような言い伝えもある。川越城主大道寺駿河守政繁の母が、甥の山角某の第二子を僧として感誉上人号し、平方村に一寺を草創、連馨寺と名づけ、山号を狐峯山、院号を宝池院とした。 永禄6(1563)年頃、連馨寺は川越の現在地に移されたので、その跡に馬蹄寺を建立したという。寺内には、市指定有形文化財「紙本着色釈迦三尊(16善神)図」がある。 大般若会の時に掛けるもので、形式、色彩から、鎌倉末期(〜1333年)から室町の頃の作と思われる。
観音巡礼 山田計司著より

2009年5月4日参拝

【御詠歌】 大悲こそ平方寄りて普現時に み影を垂れて民をみちびく

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