さいたま市緑区中尾2343
明治4年廃寺になっており、玉林院はもうない。現在の、あかつき幼稚園がその跡である。
幼稚園の経営者の饗庭家から緑区立博物館に寄託された寛政12(1801)年の絵図によって、その様子が明らかになったのだが、 その昔の本堂への道が幼稚園の裏手になっており、その入口の左側と思われるところに、一間四方くらいの木造のお堂がある。
その中をのぞくと、足立不動尊第一番大聖不動尊と刻まれた高さ2mくらいの石碑と、これも石造りの不動尊が並んで建てられており、上の方をみると、 百不動第一番の扁額がかかっている。玉林院を管理していた家は中尾家であったが、どのような事情があったのだろう。
昔を知る人の話では、中尾家の屋号はダンナ様だったというから、それからみても名家であったことが知られる。なお、玉林院を上等、 二番の明音院を下等といっていたようだ。
この石造物のお堂の左手には、小高くなった上に玉林院の歴代住職の墓があるのが見える。 あかつき幼稚園の経営者は饗庭武昭氏で、例の玉林院の絵図面の所有者である。饗庭家はここから近く、聞くところによると300年も続いた旧家で、 古文書や仏具のたぐいが、かなりの量あったらしい。この武昭氏によると、祖父が古美術品に関心があったとのことで、玉林院、明音院、西林院の廃寺の折に、 古文書や仏具を買い取ったものであろう。
14番、瀬ヶ崎の東泉寺にある仏像の厨子が、ここの饗庭家から買い求めたものと、河野住職に伺ったので、饗庭家の倉庫には、 まだ貴重な百不動関連のものがあるかと思ったが、今は何も残っていないとのことであった。
この玉林院のあったあかつき幼稚園に行くには、どう行ったらよいのか、良く聞かれるのだが、この説明がしにくい。三通りの行き方があるので紹介しておく。
まず浦和駅から、大崎事業所行きのバスに乗り、約15分、東浦和消防署前で下車する。消防署の左わきの道を入って行くと、くねくねと曲るこの道は旧道らしく、 周辺は区画整理が進んで、整備された道路に面した畑の中に住宅が点在する。 そのまま進むと、約15分ほどで前方に送電線の鉄塔がみえ、その下があかつき幼稚園である。
次の道順として、JRでは、武蔵野線の東浦和駅が最も近いのだが、これも歩いて20分ほどかかる。 駅前の広い道を左へ行き、信号のある十字路を左へ、坂を下って登りきったところの十字路を右に入ると、すぐ左手におりる道がある。 大きな蓮見家の下を通る。この道はせまいが、この蓮見家の前には、大北釈迦堂があるので、目じるしになる。
この道も古い道のようで、曲りくねるが、やがて、広い通りに出る。右の方に送電線の鉄塔が三本みえるが、その左手の鉄塔の下があかつき幼稚園である。 しかし、百不動の出発点としては、あかつき幼稚園の裏側になるので、東消防署からの道と、東浦和駅からの道は、あかつき幼稚園の正面になり、 裏口までだいぶ歩かねばならない。
第三の道順は、この出発点にすぐ行ける道で、浦和駅から明花行きのバスに乗り、約15分、大谷口県営住宅前で下車する。 ガソリンスタンドの斜め前にある星野商店の横の、4m幅の道を入る。
道はせまく、車が一台やっと通るくらいの道だが、少し行くと左の雑木林の中に中尾神社のやしろが見える。 この先100mほどで、左に百不動出発点の、玉林院歴代住職の墓と、第一番のお堂がみえてくる。ここまでバス停から10分ほどの距離である。
昔、この地方の文化の中心であったであろう玉林院は、現代の交通網から、大きくはずされていることになる。(高島英一著より)

2009年8月26日参拝

御詠歌  かるらゑん 中尾のみねに たちならひ 玉の林に ひかりかゝやく

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