さいたま市緑区大間木296
5番三光院から浦和越谷線に戻る。ここから吉祥寺の方へ200mほど戻ると、右側にスカイラークと肉のやましげの店が並んでいる。
私の知る昭和の中ごろにはこのあたりに建物は少なく、まして外食産業などみることはなかったが、今は交通量に比例してこの種の産業花盛りである。
この二つの店の間のせまい道を、200mほど入ると雑木林の中に墓石が二つしかない小さな墓地が右手にあり、このあたり一帯が玉泉院跡である。
この墓地の所有者(長谷川さん)の夢枕に白装束をまとった男が御幣をふりふり、近づくのをみて、近くの先達の野口良太郎氏のところへ相談に行き、 それから数日を経ないで私が氏を訪れ、玉泉院を知ることになった。
平成5年酉年のお不動様の年の正月のことである。ここは、この付近を長い間さがしてわからなかったところで、お不動様のお導きとしか思えない。 この土地の所有者の長谷川さんは昭和の中ごろお不動様の年には大勢の巡礼者が来たのを憶えており、一間半四方くらいのお堂があったそうだ。 事情があって、院の跡地を手放すことになったようだ。
ここには鎌倉時代の縁泥岩の板碑が、大小二十五枚も重ねた状態でおいてあり、この中でもっとも古いものは1398年のものがある。
聞くところによると、この辺は近く区画整理に入るのだそうで、地番や道路が変わってもなんとか遺跡を後世に残してもらいたいものである。
平成5年の酉年には、このわずかな墓地に、一間四方のお堂を再建し、六番札所として新しく発足した。
長谷川家の奥さんと娘さんと息子さん達が再興に熱心で、4月のご開帳に間に合わせた。よみがえった玉泉院をみて、 土地の古老が、ここは地蔵尊の縁日もあって、わたあめ等の店がたちならび、にぎわいを見せたものだ、と話してくれたそうだ。
百不動巡拝図をみても、ここは六地蔵札所の3番になっており、林の中をさがせば地蔵尊があるかもしれない。 不動尊の行方もわからないのだが、地蔵尊の行方も、是非、知りたいものである。 (高島英一著より)

2009年8月26日参拝

御詠歌   めくりくる ひとのねかひは大間木の 玉の泉の めくみふかさよ

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