さいたま市緑区三室2601-3
報恩寺
東泉寺を出て北宿通りを三室方面へ向かう。第二産業道路を横切り、しばらく行くと、やがて17番の文殊寺への入口の看板が見えるが、これをそのまま進む。
そこから少し行くと信号の下に、スイミング・センターの看板が左側に見える。
右の方を見ると少し低くなった先に大きな建物が見える。これがスイミング・センターである。北宿通りをここまで、東泉寺から約2キロのところである。
この信号を左へと入る。道は車がやっと通るくらいの昔からの道で、くねくねと曲がるが、300mほど行くと、右へ入る道の奥の方に、お寺があるのが見える。
この辺は住宅建設が盛んで、お寺を包みこむように住宅が広がりを見せている。
この、お寺の前に立つと、天台宗報恩寺と書かれている。このお寺はまだ新しく大きい建物なのに無住のようである。
吉祥寺ご住職の話では、この報恩寺の前のお堂がそれではないかとのことでここに来たのだが、この報恩寺の軒下には十五番の百不動尊扁額がかかっており、 このお寺の左手に平屋でお堂とはいえないような古い建物がある。
この5坪ほどの建物は、中ものぞくことも出来ないが、これが不動堂だったのだろうか。この建物を中心にお墓が広がっており、 新旧のお墓が静かなたたずまいを見せている。
このお堂の前に、六地蔵があり、その横に何という名の木であろうか。古木がある。本堂やお墓を見渡しているこの古木が、 不動尊の歴史をよく知っているかのように、立っているのが印象に残る。
平成5年のご開帳の折、ここで世話人の斉藤氏(宿1488)に興味ある話を聞くことができた。それによると、この不動堂はもと斉藤氏の屋敷内にあったが、 明治のいつ頃か不明だが移転した。その場所は、この報恩寺に入ってくる道の反対側の、スイミング・センターへ行く途中の、左側に小さな不動堂がある。
成田山と書かれた石の不動尊だが、その先に墓地がある。昔、寺があったのではないかと思わせる広さの墓地だが、その墓地と不動堂の間 (現在住宅になっている)に大正中ごろまで移された。それ以降は現在の報恩寺に移されたのだという。
つまり、明治の頃からこのお不動さまは、2回も場所を転々としたことになる。さらに行者にまつわる話として、昔の行者は祈禱の際に、 油を手のひらにのせて火をつけ、その油がなくなるまで祈禱をつづけたという。
また、他所の行者が、この場所で、不動尊を持ち去ろうとしたときに、その行者にだけ、不動尊像を見えなくさせたという、法力を持つお不動様である。 等の伝説を聞くことができた。
(高島英一著より)

2009年8月26日参拝

御詠歌   なにしおはゝ 三つのみ室の宿にこそ ほんのうをたつ 不動ましませ

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