さいたま市緑区三室1956
16番のお堂を出て、ここまで来た道を戻る。先ほど通った、スイミング・センターの見える十字路を、先へ進む。 やがて下り坂になるが左手に文殊寺の屋根が見えてくる。ここまで約10分ほどで歩くことができる。
このお寺は現在隆盛をきわめており、大きな寺になっているが、境内に説明があるように、安政時代には時代には氷川女体社の脇にあった。
その説明によると、 文殊寺は天台宗の寺院で、大智山覚母院といい、古くは氷川神社の境内にあって、同社々領五十石のうち、六石四斗を配授され、 住職は別当職(僧職の他に神職も兼ねること)をつとめていた。
寺伝によると、30坪の本堂と文殊堂があり、大般若経(玄奘三蔵の経典で六百巻)を収蔵し、毎年正月八日、天下泰平五穀豊穣の転読会が催されていたという。
明治初年神仏混交禁止令により、同村の薬王寺(喜見山長樹院)と合寺して現在地に移った。
本堂の文殊菩薩は、学問上達の仏様として信仰をあつめている。本堂の欄間にかかげられている三面の大絵馬は、市指定有形民俗文化財になっている、 と書かれている。ご住職に伺うと不動尊は本堂にあるとのことだった。
ここから氷川女体社(安政の百不動巡拝図では武州一宮女体官になっている)までは1キロほど東にあり、見沼用水西緑の木立の中にある。
この神社の正面から、左方向の宮本町2丁目に大熊家があり、屋号が寺下という。
裏手一帯が神社と同じように小高い丘になっており、 そのあたりで聞いた話では、開発の際に人骨が出てきたといっていたから、文殊寺の跡はここに間違いない。(高島英一著より)

2009年8月26日参拝

御詠歌   ほんのうに くもりしむねをきりひらく つるきにそふる 文そ殊なる

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