さいたま市緑区芝原2-1-6
17番文殊寺を出て右へ、県道の方へ行く。その途中に左に入る道がある。この道の左側は低くなっていて、一帯の畑になっおり、季節にもよるが眺めがよい。 200mほど行くと車道に出る。
これは赤山街道で、これを左に行くと、道がふたまたに別れるところに、おおきな庚申塔がある。
高さ2.25m、正面に青面金剛が浮き彫りになっていて、寛保2(1742)年の銘があり、市の有形民俗文化財に指定されている。ここを左へ、 赤山街道を進むと、やがて広い道路が横切るように建設中のところに出る。
この交又する地点に、古びた平屋の建物があり、 中をのぞくと奥に小さな不動尊像が見え(芝原1-26あたり)上を見るとその軒下に四寸角で、長さ4mほどの角塔婆が置いてあり、それには、 奉修足立第十八番芝原不動尊開帳供養と書かれてあるのに気づいて、やっと探しあてたと喜んだものである。
しかし、これを管理する人を聞いて歩いているうちに、この建物から東へ約500mほど離れた、内田家が、18番芝原不動堂であることがわかったのである。 先ほどの古びた建物は、案内所ということになるのだろうか。
ここの内田氏の説明によると、区画整理でお堂は移転を余儀なくされたのだが、元の場所は道路になっているとのとこだった。
現在は内田家の正面右端の道端に小さな不動堂を残している。
この内田家には安政5年の武州足立不動尊巡拝記(手帳ほどの大きさ)の他に、昭和32年のご詠歌集、昭和32年と44年の芝原地区での協賛金集めの控帳、 それに少し欠損しているが、昭和8年のカラー刷りの百不動ポスターがあり、それには、地区、寺名を記入できるよう空欄のあるもので、この当時の不動巡りが、 盛大に行なわれていたことを照明する。たいへん珍しく貴重な資料である。
平成5年のご開帳の折には、この内田家の不動堂が、手狭なために、少し先の地福院に不動尊を移し、巡拝者を接待していた。
先ほどの案内所である平屋建でも、人が詰めて湯茶の接待をしていた。(高島英一著より)

2009年8月26日参拝

御詠歌   いつくそと たつぬるひとは芝原の うごきなきよに のりみちかな

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