川口市木曽呂934
20番の八丁不動堂を出て、赤山街道を少し行くと、市文化財になっている鈴木家の大きな建物が左に見える。
トラックの荷台が軒をかすめる鈴木家は、その昔、通船堀の積荷や船頭たちの割り振りをしていた家で、その当時の建物が今に残る。
これから、芝川の八丁橋を渡ると、ようやくここまでの狭い道から開放されて、広い道になる。
東浦和駅からこのあたりの赤山街道は、とにかく寺院やお堂、やしろといった建築物が多く並んでいて、通船堀が如何にその当時の文化の中心地であったかを忍ばせる。
この先の、木曽呂の交叉点を右に折れて5分ほど歩くと、右にうっそうとした竹林が見えて来る。これが木曽呂薬王寺である。
本堂はコンクリート造りだが左側にも木造のお堂があり、右には青銅の4mほどの高さの観音堂がある。
静かで自然が保たれているこの薬王寺はのご住職は、伊藤さんといい、明治43年生まれ、80歳を越えてもなお中々のお元気でいろいろなお話を聞かせて頂いた。
それによると、このお寺は本尊が薬師様で、平安末期の創建といわれ、千年の歴史があるという。
自然を愛するご住職は、立ち木も自然のままで手入れすることなく、ここを訪れる人達から心が休まると喜ばれているという。
戦争があると、ふだんより余計に不動尊の信仰は深まるようで、寺には多くの人が訪れるようになる。太平洋戦争でも、88人の戦死者をこの寺にまつったのだそうだ。
百不動の扁額はないが、不動尊は青黒色、本堂に祀られてあるという。
このお寺は正面から見ると小高い丘の上にあり、周辺からは縄文土器や住居跡が見つかっているそうだ。 ここの伊藤住職は浦和の玉蔵院にも籍をおいたことがあるそうで、古きを愛し、自然を愛し、人生のお手本のような方である。
平成5年のご開帳の折に、本堂内のご本尊を拝見したところによると、正面奥に高さ3mほどの立派な宮殿に、1.5mほどの不動尊座像が両脇に二童子を従えていた。
あとでご住職に云われて気づいたが、この宮殿のまわりには建替える折に昔の建物の一部がそのまま持ち込まれており、 ご住職の古きを愛する気持ちの現われを見る思いがする。
また、このお寺の本堂前に、大きな堂々とした鐘樓があるが、これは近くの赤山の伊奈氏の寺から、昔15両でかったものとのことだった。(高島英一著より)

2009年9月3日参拝

御詠歌   ゆたかなる たみのかまとの木曽呂には たのみそふかき 薬し寺かな

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