川口市安行領家377
神明社公園
地蔵院を出てお成り街道をさらに南下する。10分ほど商店街を歩くと、本町2丁目の信号に出る。
ここは鳩ヶ谷市の中心地で、すぐ先に市役所があり、郷土資料館の入口でもある。ここを左に入ると、すぐ資料館がある。
その先のバス停、旭町口、からは、ゆるやかで長い下り坂となる。これを降りきると川口市に入るが、慈林のバス停の手前に手押ボタンの信号がある。
これを左に入ると道はせまいが登り坂となっおり、その木立中に、31番宝厳院がある。
ここを通り抜け、500mほど行くと、首都高速の下に出る。安行慈林の交叉点である。
このあたり一帯は、植物園芸農家ばかりで、さまざまな植物を鑑賞できるし、冬でも緑が絶えることがない。
500mほど、この先を行き、二つ目の十字路を右に折れると、すぐフェンスで囲った300坪くらいの公園がある。
きれいに整地されたこの公園の奥に、間口一間くらいのお堂が、二つならんでいる。
ここが、この付近の人達のいう通称神明様である。
祠の右側は、鳥居を持つ稲荷社、左が神明社である。稲荷社の脇に大きな力石が置いてあり、文字が彫ってあるが読めない。
当初、鳩ヶ谷市で聞いた話しでは、神明院は、廃寺になって、どこにあったかわからないが、興禅院にいっているとのことだった。
興禅院はこの神明様の北200mほどの街道沿いにある。
銅板ぶきの屋根をもつ大きな寺で、天文15年(1546)に建立の曹洞宗のお寺であるが、ここできいた話しでは、ここには不動尊はない。
この先に神明様があるからそれではないかとのことだった。
ところが墓も見あたらないし、寺跡が確認できないので、地元の豪農で郷土史家の長島剛次郎氏にきいたところによると、明治初年に廃寺で、還俗して、 寺のあとははっきりしないとのことだった。
ここが神明院であることの確認が得られなかったのだが、三十一番の宝厳院の元山住職の話で神明院は宝厳院の末であったといわれているとの証言を得て、 この神明様の広場が神明院跡であるとの確信をもつことができた。
この神明様の広場は、地元の人達が折を見ては有効に利用しているようだが、神明社の左奥には、小高い円墳状の小山があり、その上には石の祠が三つ並んでいて、 その横にも一つみうけられる。この石の祠を、じっと見ていると、深い歴史が秘められているようで、何か話しかけてくるような気さえする。(高島英一著より)

2009年9月3日参拝

御詠歌   へたてなく をちこちひとをてらすらん 神明らけき 赤山のもり

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