川口市舟戸1-29
善光寺
薬林寺を出て122号線を東京の方へ行く。2キロほどで荒川にでる。
新荒川大橋の手前の土手を右に行く、京浜東北線の電車の中から、よく見る善光寺の緑の大きな屋根が、ここからみえる。
左に川口市立南中、右には川口の市街がひろがる。ビルやマンションが建ち並ぶようになって、昔と様子がすっかり変わってしまった。 薬林寺を出てから、35分ほどで善光寺に着く。この善光寺の境内に川口東明院があったのである。
寺歴によると、善光寺は建久8(1197)年、定尊上人によって開創されたとあるから、鎌倉時代初期のことである。 年譜によると、元亨2(1322)年、東明院と西善院が建立されて、善光寺の護持にあたったとされているから、南北朝時代以前のことになる。
明治に入り27(1894)年に善光寺が二院を合寺したとされている。 また徳川時代に、江戸名所図会が天保7(1836)年に出版されているが、この中に、川口善光寺も画かれており、よくみると、荒川を背景にして、 善光寺本堂を中心に、山門から右にはなれて東明院、左に西善院が名入りで画かれている。
東明院には、不動尊がまつられていたことは当然のことながら、善光寺には二体の立派な不動尊があり、立像は元禄元年、坐像は天明4年の墨書があり、 いずれも二童子を前においた立派な像である。
このいずれかが東明院にあったことは間違いないが、ここの奥さんに伺ったところ、不動堂は現在ないが建てる予定はあるとのことで、 東明院が百不動の34番にあたることは初耳のご様子だった。
このお寺は前期のように、昔は江戸名所に入るほどの有名寺院で、江戸時代の善光寺如来の開帳には、参道に露天や見世物小屋が立ち並び、 2万坪の境内を参詣人がうずめて、ケガ人もでるほどであったという。ある年は岩淵(東京側)からの渡し舟が転覆騒ぎをおこすほどの、にぎわいもみられたという。
善光寺は現在山門の2mほどの高さの仁王像はじめ、開山上人の宝塔(青銅製で高さ3.5m)や、市が文化財に指定している宝篋印塔(鎌倉時代)や鰐口の他に、 巨大な石造物が立ち並び、境内を埋めているが、江戸の名所に入るほどの、名刺であった。その名ごりが、今でも随所にみられる。大規模な寺院である。 (高島英一著より)

2009年9月7日参拝

御詠歌   東より 明ゆくまゝに川口の さとにくまなき ほのほなりけり

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