川口市南町1-6-2
三十五番、最勝院へと来た道を先にすすむ、三十七番と三十八番の浮間へは、新荒川大橋か戸田橋を渡るしかなく、これは大変な距離になるので別扱いとする。
安政の頃は、勿論橋がないから、明治に入って橋ができるまで、舟の渡しで浮間へ行くしかなかった。 百不動巡拝記や、巡拝図にある距離は、渡しの分はどうなっているのかわからないが、いづれにしても最勝院を出て、近くの渡し場に行ったにちがいない。
大光寺へは三十五番、最勝院から、歩いて1キロの距離である。道はゆるやかなカーブをえがいていくが、西中前から横曽根をとおり、更に少し行くと、南町の信号にでる。
これを右に入ると吉祥院という大きなお寺がみえる。武州川口七福神の毘沙門天霊場になっていて、のぼりが何本かみえる。
ここのご住職に伺うと、大光寺はここの末寺ですぐ前(吉祥院にむかって左)にあった。平成二年頃建物が朽ちてどうするかを檀家と相談して、墓だけ残すことにした。
不動尊と扁額はこちらにあるということだった。 お墓に行ってみると、半分の面積に墓、片方はジャリを敷いた空地になっていた。
近くに住む古老にきくと、15坪くらいのお寺がここにあったという。 ところで、大光寺はなくなってしまったが、ここの横曽根という地名もなくなってしまった。
僅かに神社と消防署と公民館、それとバス停にその名をとどめているのである。
(高島英一著より)

2009年9月7日参拝

御詠歌   くさきまで みな横曽根になひけるは 大き光りの み寺なりけり

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