戸田市美女木7-4-2
徳祥寺
慈眼寺を出て送電線にそって左方向へ行き、美笹西通りを右へ、途中外郭環状線の下を通るが、約1キロほど行くと、美谷本小の入口の標識があり、これを右に入る。 左手に小学校が見え、その前に高い木立の中に、美女木八幡社と、その少し先に、徳祥寺の屋根が見える。
この八幡社は、鎌倉より分祀したもので、千坪ほどの広さがあり、本殿の中をのぞくと、古色蒼然としたみこしが二つと、 1mほどの高さの青銅の鐘が置いてあるのがみえる。
神社の入口に鐘の説明があり、鎌倉末期から南北朝時代の作とみられる特徴があるとのこと、 戸田市教育委員会の調査が記されている。ところがこの他に社殿の左にも鐘つき堂があり、ここにも同じくらいのつり鐘がある。
普通の鐘つき堂はお寺と相場がきまっているように思うのだが、神仏混交というか神仏習合が、 この地方に深く根をおろしていたことを照明するものであろう。一説によると、八幡神社は、神仏習合の代表のようなもので、 神を仏の化身(権現)としたり、戦勝祈願に、南無八幡大菩薩と唱えて祈ったりしている。
四十六番、一乗院の鬼頭住職に伺うと、美女木の円通寺は、現在、神主の鶴岡氏の住まいになっているが、鶴岡氏の名も、八幡宮に通じているし、 鎌倉時代に、このあたりを鎌倉八幡宮の所領としたことの、名残りの地名がいまでもある。
例をあげると、番匠目、ヤブサメ、堀の内、砂場といった地名は、その時代につけられたものではないか。さらに円通寺は別当だから墓はない。 昔は、一乗院と同じくらいの規模をもつ立派な寺であったが、今は、不動尊は近くの徳祥寺に、山門は、これも近くの妙厳寺に移したときいている、 等々、貴重なお話を頂いた。
徳祥寺は神社の脇から50mほどのところにある。このお堂はまだ建ててまもない新しいもので、屋根の形が美しい曲線をえがいている。 門を入ると左に無縁仏がまとめられ、右には古い石塔が並んでおり、中には応永十四(1408)年の青石塔婆もある。本堂の左手は墓地が100坪ほどあり、 中の一角に歴代住職の墓もみえる。
ここは足立坂東十六番の観世音札所になっていて、本堂内正面に観世音、右に立派な、そして新しい厨子に納められた不動尊秘仏を確認できた。 扁額は外にではなく中に置かれてあり、四十五番と書かれてあるのを確認した。(高島英一著より)

2009年9月7日参拝

御詠歌   美しき 女木のもとにはのりのみち 円かに通う ひとそおほかる

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送