さいたま市桜区塚本246-1
万行寺から、中島自冶会館への道をそのまま北に行くと、埼大通りに出る。これを左へ、埼大の前を通り、せんげん橋を渡ると、下大久保の信号に出る。 これを右へしばらく行くと左に北高校がみえる。学校の一つ先の通りを左へ、そして突き当たりを左におれると、左に広い墓地がみえる。
塚本の神明寺跡は、この墓地から50m先の右にある榎本家である。万行寺を出てから、ここまで丁度1時間を要する。 榎本家の左手(敷地内)には小規模ながら古墳があり、昔は、古墳にまっすぐのびる参道があって、その右手(現在の榎本家)に神明寺があった。
榎本家にはその絵図もある。さらにこの榎本家には、大量の古文書が所蔵されており、現在県文書館に整理保管されている。 古墳のところにある神明寺古墳の市の説明にも昔は修験の寺がここにあって、榎本家にはその文書があると記されている。
現在古墳の上にある祠は、辨天様と稲荷様なのだそうで、不動尊は残っていないし、その消息はわからない。 しかしこの榎本家がその昔、五十七番札所であったことを証明する扁額が残されていたのである。その扁額は、百不動尊各寺院にみられる扁額と異なるもので、横長である。
他の扁額を二枚横に並べたくらいの大きさで、幅1.25m、縦35センチの大きなもので、右に不動明王、左に聖観世音(金箔がうすれているが)と大書し、 右脇に足立五十七番、中央に本尊二体とある。神明寺には二体の仏像がまつられていたことになるが、現在その行方は、残念ながら全く知ることができない。
五十七番神明寺は、他にない扁額をもっていることから推測すると、足立百不動寺院の中でも別格の扱いをうけていた、修験道場ということになる。(高島英一著より)

2009年9月10日参拝

御詠歌   たかきより 塚本かけてへたてなく神明けき 寺のしつけさ

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