さいたま市桜区神田726
永福寺
林光寺八角堂(不動堂)のすぐ裏手は、鴨川になっている。山門から左の川の方へむかう。そこには、新しい橋がかけられており、橋のたもとに説明がある。
それによると、この橋は学校橋といい、明治6年に学校制度ができた時に林光寺が学校になり、川向こうの子供たちのために通学用として、 橋がかけられたのが最初とのことだ。
この鴨川の両岸は土手の上を歩けるようになっているので、これを右手に行く。季節にもよるが、ここは野鳥の宝庫で、ムクドリ、ツグミ、鴨、セキレイ、カワウなど、 流れる川の水はきれいではないが、鳥を観察しながら歩くのも楽しいものである。
川が大きく右へカーブすると、ふじ橋に出る。これを、左の方へ行くと日枝神社にでる。この十字路を右に行くこと500mほどで、八王子浅間神社に着く。 林光寺から30分ほどの道のりである。
東覚院はここにあったといわれているのだが、明治4年に廃寺となり、今は全くその影をとどめていない。 神社の入口には、埼玉県ふるさとの森、の道標があるが、境内の奥に、神社の建物が二つあり、左の赤く塗られた方は稲荷社のようである。
この神社の説明があるが、木花咲耶姫をまつる八王子神社と、田心姫命をまつる浅間神社の二社ということなのだが、二人の姫をまつるいわれは書いてない。 やしろの裏手に5mほどの高さの円墳があり、その石段をのぼると石の祠があるが、東覚院の手がかりはない。
神社の中央にケヤキの大木がそびえているが、このケヤキと円墳が東覚院消滅の事情をみつめてきたにちがいない。 この東覚院にあった不動尊は、縁故をたどって、浦和の永福寺に行っている。
永福寺は浅間神社から1キロ南にあり、神田バス停が寺の前にあり、 本尊は観世音菩薩のようである。その右脇に、1mほどの不動尊立像が拝める。扁額は内にも外にもみえない。
広い境内はガランとしていて、 墓石が右の方に少し見えるだけだが、道路の向かい側に500坪ほどもあろうか、広い墓地が見える。(高島英一著より)

2009年9月10日参拝

御詠歌   東ちの ひとを覚せるみつるきは 八の王子の さとにこそあれ

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