さいたま市南区鹿手袋6-5-10
医王寺を出てさきほどの六十五番から六十六番へと来た道を南下する。この道はやがて突き当たるが、これを左に行く。
この角に大小四個の石造物がある。道しるべのような石もあるがよくわからない。二つのガードをこえると、前方に森が見え、志木街道と合流する。
この森は別所沼公園で、静かな公園の脇のこの道は、車の交通がはげしく、6mほどの巾のこの道に歩道橋がかけられている。 こんなせまい道に歩道橋をかけなければならないほどの車の量なのである。この歩道橋の手前20mを右にはいる。 ようやく車の騒音から開放されて、1キロほど南下する間に、またガードを二つくぐる。 この道は突き当たるが、少し左にずれる道があり、それを200mほど入った十字路の右奥に六十七番不動堂がある。
昔は六十七番へまっすぐにのびた道があったはずなのだが、このあたりは武蔵野線が三角地帯をつくっていて、道が分断されたり、 新設されたりしているから、少しまわり道だがこの方がわかりやすい。入口に万霊供養塔が4mほどの高さでそびえており、これが目じるしになる。 入口の両側に真言宗と不動尊と刻まれた、新しいミカゲ石の門柱が建てられている。
この門の中の供養塔の前に珍しい六地蔵がある。石の灯篭型で高さ1.8m、その笠の下の胴の部分が長く六角になっていて、 40センチほどの地蔵尊が浮き彫りになっている。日月の彫りの下に、上の字がよく読めないが寛文二(1662)年のようにみえる。
300坪ほどの広さの敷地の中央に、二間間口の古びたお堂があり、中に不動尊立像が黒い厨子の中に見られ、六十七番扁額も軒下にかけられている。
このお堂は、ここから近い宝泉寺によって管理されているようで、お堂の棟つづきに管理人が住んでいる。右手から裏の方にかけて墓地が整然とならんでいる。 このあたりは武蔵野線ができたために急速に発展し、住宅と倉庫やマンション、畑が混在している。
平成5年は不況のどん底でバブルがはじけて、 開発はストップの形だが、12年後の酉年にこのあたりはどう変化しているであろうか。(高島英一著より)

2009年9月10日参拝

御詠歌   いかりけの 鹿手袋の不動そん たけきかけにも すてぬ慈悲心

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