さいたま市南区南本町2-13-4
医王寺の前の道は車の量が多い。左に折れて坂道を上る。浦和は起伏の多い町だが、宝性寺まで二つの丘をこえる。
20分ほど歩くと京浜東北線の線路に突き当たる。 ここから南浦和駅のホームがみえるが、七十四番宝性寺は駅前の寺である。線路脇の角地にも、古い石造物が並べられているが、境内にも多くみられる。
新編武蔵風土記稿には、ここは蕨の三学院の末で本尊不動とあるが、今は聖観世音菩薩が本尊となっており、足立坂東十番札所である。 薬師様も六番札所の他、新四国の四十一番等もみられる。不動尊は秘仏で厨子に納められており、七十四番大聖不動尊の扁額も、本堂軒下にみられる。
ここの相川住職の話によると、昔の宝性寺はこの地区一帯に広い範囲で影響力があったらしく、現在の宝性寺はその中の薬師堂であったが、 山の上にあった薬師堂を昭和35年頃、区画整理で山をけずって、現在の姿になったという。
現在の宝性寺は、南浦和駅の西口の北側になるが、 南側にも華徳院というお寺があったが、今はなくなっているように、あちこちのお堂にあった仏像をまとめて、現在の姿になっている。 秘仏の不動尊は30センチほどの立像だが、本堂内の正面奥には、大きな宮殿に納められた正観世音の他に、別の大きな宮殿に薬師如来、 その間に何体もの仏像が並べられており、左の方には、1m余の不動尊像もみられる。
明治以降の大きな歴史の渦の中で、幾多の変遷を経て、 ここにまつられている仏像の前にたたずむと、歴史のうねりの音がきこえてくるような気がする。 新編武蔵風土記稿によると、宝性寺については、次のように記載されている。
宝性寺、新義真言宗、三学院末、修妙山と号す。本尊不動を安置、観音堂二字、一字は十一面観音、一は正観音、行基の作也、華徳院、同宗、同門徒、氷川山と号し、 本尊阿弥陀を安す。薬師堂、宝性寺の持。(高島英一著より)

2009年9月16日参拝

御詠歌   よのなかを へたてゝすめる宝性の 谷のにはとは たれなつけゝん

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