さいたま市南区文蔵4-7-5
薬師堂
宝性寺を出て南浦和駅前の道を南下する。やがて道はせまくなり、旧道の見本のような曲折する道になる。
買収が終わって道を直線にする工事も一部みられるが、地価が高いのと、個人の権利が優先する世の中だから、自冶体も大変だ。 やがて外郭環状線の巨大なアルミ色のカバーがみえてくる。その手前、200mほどのところを、右へ100mほどの行くと、右手に墓地がみえる。
ここが薬師堂で、七十五番文蔵の不動尊はここに移されていた。門を入ると正面にお堂があり、右に殉国英霊の碑と書かれた大きな石碑がある。 左手は広い墓地になっていて、新旧の墓が並んでいる。本堂の中は、中央に薬師如来、右に30センチほどの不動尊座像、左に地蔵尊をまつっている。 扁額は中にも外にもみえない。
ここの世話人の一人、吉川米吉氏を訪ねると、不動尊はここにあったのではなく、いつの頃かわからないが、この近くにあった不動尊と地蔵尊を、 ここにまとめてまつってあるのだとのことであった。氏に不動堂のあったところを案内して頂いた。
ここまで来た道を戻り、十字路をわたり、50mほど行き、左に少し入るとマンションと駐車場と住宅にかこまれた、300坪ほどの墓地がある。 ここも新旧の墓が並んでいるが、建物はない。氏の説明によるとこの一画に不動堂があって、この墓地の脇に住んでいた町田さんという人の屋号は堂の前であったという。
安政時代の文蔵不動堂はここにあったのである。(高島英一著より)

2009年9月16日参拝

御詠歌   いくはくの ふるき文をや蔵むらん なもうこかしの のりのみ寺に

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