川口市青木5-18
氷川神社境内
竜泉寺を出て、川口オートレース場の方に向かう。竜泉寺から5分とかからない。
オートレースの広告塔の前に300坪ほどの駐車場があり、その一隅に鳥居があり墓地がある。 中に入ってみると、宝篋印塔を入れて30ほどの大小の墓石がまとめられているが、その中の、一つをみると、金剛座王峯数三度と刻まれた修験者の墓もあり、 修験に関係のある墓であることがわかる。
川口市の郷土史家沼口信一氏に、般若院はここではないかと教えて頂いたが、巡拝記や巡拝図にある距離から、前後を計算すると、 ここに般若院があったことはまちがいない。
このすぐ近くに氷川神社がある。この神社の神殿の左に石造物で、小さな祠があり、その下のすみに小さく般若院と刻まれている。 さらにその上の小さな祠にも、不動尊がまつられており、祠は多分、般若院から神社へ寄進されたものであろう。
ここの宮司さんはご兄弟のように見うけたが、弟さんの方が郷土史にひどく関心をお持ちのようで、となりの鈴木家の前に駐車場があり、 その奥に木づくりの小堂があるところまでご案内いただいたことがある。
中をのぞくと、石の不動尊がみえ、その後に88番の扁額が建てかけてあるのが見え、この時はここに般若院あった。と信じていた。 川口の郷土史家平野清次郎氏の話では、鈴木家は紀州の熊野神社から派遣された御師であるという。
しかし次の89番大学院の調べを進めているうちに、氷川神社の前に大学院があったことがわかり、巡拝記にある距離に合わないので、沼口氏にきいてみたところ、 鈴木家の墓地を教えて頂いたのである。
この鈴木家の前にある石の不動尊と88番扁額は、鈴木家の墓地から、住まいを現在地に移すときに一緒に移転したものと考えられる。
尚、鈴木家の墓地内に大きな鈴木蓑子の墓があり、鈴木図書の後妻で明治22年歿と彫られている。
近くに住む稲垣喜代次氏の話では、鈴木図書は氷川神社前の青木中が昔小学校の頃、初代の校長で、88歳の高齢の時に神社ののぼり旗を書いたといわれている。
(高島英一著より)

2009年9月16日参拝

御詠歌   般若院下青き さとの般若のみ寺にそ ちきりおかましめくみふかさに

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