東京都台東区浅草2−3−1 |
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『浅草寺縁起』等にみえる伝承によると、浅草寺の草創の由来は以下のとおりである。 推古天皇36年(628年)、宮戸川(現・隅田川)で漁をしていた檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)兄弟の網にかかった仏像があった。 これが浅草寺本尊の聖観音(しょうかんのん)像である。 この像を拝した兄弟の主人・土師中知(はじのなかとも、「土師真中知」(はじのまなかち)とも)は出家し、屋敷を寺に改めて供養した。これが浅草寺の始まりという。 観音像は高さ1寸8分(約5.5センチ)の金色の像であると言われるが公開されることのない秘仏のため、その実体は不明というほかない。 その後大化元年(645年)、勝海上人という僧が寺を整備し観音の夢告により本尊を秘仏と定めたという。 さらに平安時代初期の天安元年(857年。天長5年(828年)とも)、延暦寺の僧・円仁(慈覚大師)が来寺して「お前立ち」(秘仏の代わりに人々が拝むための像) の観音像を造ったという。これらのことから浅草寺では勝海を開基、円仁を中興開山と称している。 天慶5年(942年)、安房守平公雅が武蔵守に任ぜられた際に七堂伽藍を整備したとの伝えがあり、雷門、仁王門(現・宝蔵門)などはこの時の創建といわれる。 (浅草寺より) 2004年5月14日参拝 【御詠歌】 ふかきとが 今よりのちは よもあらじ つみ浅草へ まいる見なれば |
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