茨城県常陸太田市天神林町2404
寺記によれば大同2年(807年)硯僧徳一の開創とされるが、坂東霊場記では寛和元年(985年)に板東巡礼中の花山院が、 随行の元蜜上人に聖徳太子作の十一面観音像を与えて建立させたとされている。建立当時は観音寺と呼ばれた。
源義光の孫の源昌義は、寺領を寄進し祈願所とした。昌義はこの寺で節が1つしかない竹を見つけ、これを瑞兆とし、 佐竹氏を称したとされる。天文12年(1543年)に兵火により焼失するが、天文15年(1546年)に佐竹氏18代佐竹義昭が佐竹城(太田城)の鬼門除けとして現在地に再建した。
最盛期には六支院と三ヶ坊を有したが、関ヶ原の合戦の後、佐竹氏が出羽に移封されたことにより衰退する。
それでも、江戸時代は坂東三十三観音霊場の二十二番札所としての賑わいがあったが、明治に入っての廃仏毀釈より荒廃し、昭和24年(1949年)まで無住の寺であった。
(佐竹寺より)

2004年9月19日参拝

【御詠歌】 ひとふしに 千代をこめたる 佐竹寺 かすみがくれに 見ゆるむらまつ

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送