江戸時代のころから、観音霊場巡りが結願したら、その御礼として信濃・善光寺にお参りに行く慣習が続いてきた。そしていつの頃からか、
人々は、厄除けで知られる別所温泉の北向観音も合わせてお参りするようになった。
その起源は定かではないが、善光寺の本堂が宝永4(1707)年に再建されたときには、すでに内陣と内々陣の壁に西国・坂東・秩父をあわせた百観音が祀られていたから、
その以前から始まっていたようだ。
巡礼が庶民に広がった江戸時代には、江戸から西国に行くときは、まずお伊勢参りをしてから西国三十三ヶ所を巡り、
帰りに善光寺を参拝して江戸に戻るコースが人気だったようで、こうした結願御礼の習わしがうまれたのだろうか。
秩父三十四ヶ所より
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